「死」について
46歳の若さで亡くなったジャーナリストの千葉敦子さんは、
「死について考えたことがない、というのは生きることについて
真剣に考えたことがない、というのと同じです」
とおっしゃっています。
40歳代前半から50歳代は、自分の人生には限界があると感じ、
「いつかは自分も死ぬ」という事実と初めて向き合う世代でもあるようです。
「死」について考えることで、自分がどう生きたいか、
というライフデザインが見えてくるし、
そこから具体的なライフプランが生まれるのだと思います。
「どう死にたいですか?」という質問に、
あなたはどう答えますか?
死ぬことなんて、考えたこともないし、考えたくないわ、と
おっしゃる方もいると思います。
誰しも病気で死にたいとは思わないですが、
当然に、不幸にして病魔に冒されてしまう人はたくさんいます。
突然、命を奪われてしまう方も…。
私の母は33歳で癌を発病し、10数回手術した後、
52歳で亡くなりました。
(それでも奇跡と言われる位の生命力でした)
本人も悔しかったでしょうし、
周りの家族も幼かった私達兄弟も、母の病気で寂しい思いをしました。
私は幼い頃、母の気持ちを思いやる力も余裕もありませんでした。
30代から癌と戦った母にしてみれば、
「ナゼ、自分なの?」と思ったでしょう。
今なら、母のさまざまな「あがき」のようなものを
許せるような気がします。
そして父も3年前に、突然、病で亡くなりました。
そんな経験もあり、
私は「人間って、けっこう突然、あっけなく死んじゃうんだな。。」
と感じています。
両親の死に目に会えていない事がずっと胸にひっかかっていますし、
また、もっと自分に何か出来たのではないかと言うことも感じていて、
取り返しのつかない後悔は
今後はもう出来るだけしたくないと思っています。
「いつか会おうと思っていたのに、今までなかなか会わなかった人」
「しようと思っていて、出来ていなかったこと」
「言おうと思っているのに、言えていない言葉」
そして、「自分のこころの再生のための・・・伯母夫婦との交流」
などを、少しずつ、行動に移しているのです。
また、グリーフケアについても考える機会がありました。
少し前に、「千の風になって」があれほどヒットした事も、
それは本当に身近な出来事であったのに、
癒される手段がなかったから・・・なのでしょうか。
グリーフケアという言葉自体、
まだ日本ではあまり知られていないですし、
身近な人を亡くした悲しみを癒す手段がない人々が
多いのだと感じます。
私自身がそうでしたから。
長生きすると、当然、肉親の死に出会う確率も多くなるので
今後、誰もが経験しうる事です。
周りにも、そういった経験をしている人が
たくさんいるということを知り、
こころの葛藤を思いやれて、
さらに、自分がもしそうなった時の覚悟も
少しだけ出来ていれば・・・ということでしょうか。。
今日は、「死」がテーマでした。
日本の風潮として、「死」について語るという事が
タブー視されているような気がしますが、敢えて挙げてみました。
人は生きてきたように死んでいくものだといいます。
こころ静かに自らの生き様を考える時間であって欲しいです。。
道元が、次のような言葉を残しています。
志のある人は、人間は必ず死ぬ ということの意味を知っている
志のない人は、人間は必ず死ぬ ということの本当の意味を知らない
「死について考えたことがない、というのは生きることについて
真剣に考えたことがない、というのと同じです」
とおっしゃっています。
40歳代前半から50歳代は、自分の人生には限界があると感じ、
「いつかは自分も死ぬ」という事実と初めて向き合う世代でもあるようです。
「死」について考えることで、自分がどう生きたいか、
というライフデザインが見えてくるし、
そこから具体的なライフプランが生まれるのだと思います。
「どう死にたいですか?」という質問に、
あなたはどう答えますか?
死ぬことなんて、考えたこともないし、考えたくないわ、と
おっしゃる方もいると思います。
誰しも病気で死にたいとは思わないですが、
当然に、不幸にして病魔に冒されてしまう人はたくさんいます。
突然、命を奪われてしまう方も…。
私の母は33歳で癌を発病し、10数回手術した後、
52歳で亡くなりました。
(それでも奇跡と言われる位の生命力でした)
本人も悔しかったでしょうし、
周りの家族も幼かった私達兄弟も、母の病気で寂しい思いをしました。
私は幼い頃、母の気持ちを思いやる力も余裕もありませんでした。
30代から癌と戦った母にしてみれば、
「ナゼ、自分なの?」と思ったでしょう。
今なら、母のさまざまな「あがき」のようなものを
許せるような気がします。
そして父も3年前に、突然、病で亡くなりました。
そんな経験もあり、
私は「人間って、けっこう突然、あっけなく死んじゃうんだな。。」
と感じています。
両親の死に目に会えていない事がずっと胸にひっかかっていますし、
また、もっと自分に何か出来たのではないかと言うことも感じていて、
取り返しのつかない後悔は
今後はもう出来るだけしたくないと思っています。
「いつか会おうと思っていたのに、今までなかなか会わなかった人」
「しようと思っていて、出来ていなかったこと」
「言おうと思っているのに、言えていない言葉」
そして、「自分のこころの再生のための・・・伯母夫婦との交流」
などを、少しずつ、行動に移しているのです。
また、グリーフケアについても考える機会がありました。
少し前に、「千の風になって」があれほどヒットした事も、
それは本当に身近な出来事であったのに、
癒される手段がなかったから・・・なのでしょうか。
グリーフケアという言葉自体、
まだ日本ではあまり知られていないですし、
身近な人を亡くした悲しみを癒す手段がない人々が
多いのだと感じます。
私自身がそうでしたから。
長生きすると、当然、肉親の死に出会う確率も多くなるので
今後、誰もが経験しうる事です。
周りにも、そういった経験をしている人が
たくさんいるということを知り、
こころの葛藤を思いやれて、
さらに、自分がもしそうなった時の覚悟も
少しだけ出来ていれば・・・ということでしょうか。。
今日は、「死」がテーマでした。
日本の風潮として、「死」について語るという事が
タブー視されているような気がしますが、敢えて挙げてみました。
人は生きてきたように死んでいくものだといいます。
こころ静かに自らの生き様を考える時間であって欲しいです。。
道元が、次のような言葉を残しています。
志のある人は、人間は必ず死ぬ ということの意味を知っている
志のない人は、人間は必ず死ぬ ということの本当の意味を知らない
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